2007年

ーーー8/7ーーー アルコール・チェッカー

 インターネットの通販で、アルコール・チェッカーなるものを購入した。呼気のアルコール濃度を調べる装置である。トラック輸送業界などで業務に使っているチェッカーは、1万円以上するものらしいが、私は2千円程度のものを見つけて注文した。届いたのを見ると、いかにも安物で、メーカーの名前も所在地も不明という代物であった。動作には問題無さそうだが、この装置じたい、海賊版めいた、法に触れるような品物に思えた。

 少し前のことだが、私の知り合いが、友人宅でしたたか飲み、その夜は車の中で寝た。自宅へは車で10分ほどだが、飲酒運転を避け、一晩寝て酔いを醒ましてから帰ろうとしたのである。翌朝早く帰路についたのだが、全く運が悪いことにパトカーと遭遇した。ちょっと怪しいと思われたのか、呼び止められた。車の窓を開けると、ムッとするような酒の匂い。ただちにアルコールの検査をされた。そして数値が高かったので違反となり、20数万円の罰金を取られた。じつに悲しいストーリーである。

 私は飲酒運転をしない。したことが無い。しかし、上に述べたようなケースはありうる。出先で酒を飲み、一晩寝て酔いを醒して帰路につくということはよくある。ちゃんと酔いを心配しているのだから、良いドライバーだと言えるだろう。しかし、醒したつもりの酔いが残っていて、警察に捕まって罰金を取られたのでは、元も子もない。現在の厳しい取り締まり基準では、自宅で普通に飲む程度でも、翌朝チェックすれば引っかかるとの話も聞いたことがある。

 私は飲酒歴30年以上のベテランだから、飲んだ酒の量と酔いの関係については、それなりに熟知しているつもりだ。しかし、それを数値で確認したことは無かった。数値で確認して、「ああ、これくらいだとオーバーしてしまうのか」と気がついたときが、取り締まりの検査であったなら、もう手遅れである。そこで、飲酒量と呼気のアルコール濃度との関係を、データを取って調べてみようと思い立った。その実験器具として、この装置を購入したのである。

 装置の取り扱いはいとも簡単。スイッチを入れて、センサー部分に息を吹きかけるだけ。即座にアルコール濃度が数値で現れる。ただし、息の吹きかけ方で数値に若干の違いが出る。些細な数値の違いで、有罪か無罪かが決まるのだから、この点は注意しなければならない。センサーの入り口に、手の指を丸めて筒を作り、息が漏れないようにして吹き付けると、高めの数値が出ることに気がついた。高めの数値ということは、安全サイドということだ。この方法でデータを取ることにした。

 ウイスキーを飲んだり、ビールを飲んだりして、実験をした。これは楽しい実験である。缶ビール一本でどれくらい数値が推移するかという実験は、昼間に実施しなければならない。夜だと引き続き飲む酒の影響が出てしまうからだ。ビールを1本飲んで、1時間半ほど静かにしているというのは、昼でなければできないことだ。

 一方夜の部は、注意深くいつもの酒量を再現したり、少し飲み過ぎの状況を作ったりと、いろいろ試してみた。飲んでから20分経たないと血中にアルコールが行き渡らないとか、複数回検査する場合は、その間に飲み食いをしてはいけないとか、装置の説明書に書いてあった面倒なインストラクションは、実験が進んで行くうちに無視されるようになった。酔っぱらってしまったからである。

 一般的に、350mlの缶ビール1本で、完全に醒めるまで1時間半かかると言われている。私の場合は1時間で数値がゼロになった。アルコール分解能力が高いのか、それとも体が大きいせいか。

 いつも通りの晩酌をして、出来上がった状態での数値は0.5〜0.7mg/lであった。これで運転したら、免許取り消しである。ちなみに酒気帯び運転の目安は0.15と0.25mg/lの二段階で、後者を超えると一発取り消しとなる。

 さて、この実験の核心である、一晩寝ることによる酔い醒し効果について。これは予想外に好ましい結果だった。0.7mg/lの酔いでも、6時間も寝れば0.0に戻ったのである。何度も繰り返して実験したから、間違いはない。やはり私は平均的日本人よりも、酒に強いのかも知れない。

 実験の結果は、けっこう嬉しいものであったが、これで調子に乗って変な自信を付けたら、足元をすくわれるだろう。体調によってアルコール分解能力に差が出るとの説もある。深酒をして肝臓が弱っていると、アルコールを分解するのに、いつもより時間がかかるというのである。「一晩寝れば大丈夫」を鵜呑みにしては危険である。

 要は飲み過ぎなければ良いのである。実行するのは難しいことだが、楽しい気分になるくらい、ほろ酔い加減くらいの酒量にとどめるのが、やはり正しい酒の飲み方なのだろう。それを実現するために必要なのは、アルコール・チェッカーではなく、「あなたの自覚」とは家内の弁。



ーーー8/14ーーー 恐怖の蜂事件

 家内が庭で蜂に刺された。小さな蜂だったので、一瞬痛がっただけで、大事にはならなかった。夕食時にその話題となったので、私は以前経験した、蜂にまつわる恐怖の体験の話を、娘に聞かせた。

 会社勤めをしていたとき、インドのニューデリーに出張したことがあった。休日に、タージマハールを見に行くことになった。同僚5人くらいで、運転手付きの車を借り切って出掛けた。

 タージマハールの前に、アグラ宮を見学した。石造りの巨大な建物の回りをぐるっと歩いてみた。その場には、私たち以外に誰もいなかった。一人が、遥か高い軒下部分に蜂の巣を見つけた。それを指差して、大きな巣だとか言い合った。そしてまた歩き始めた。

 じきに一匹の蜂が、ブーンとからんできた。それが、瞬く間に数匹となり、数十匹となった。振り返ると、さっきの蜂の巣から、黒い雲のようになって蜂の群れが降りて来るのが見えた。我々5人は、蜂の大群の襲撃を受けたのである。

 相手は飛んで来るのだから、走って逃げようとしても叶わない。逃げ込めるような扉も無い。顔と言わず頭と言わず、手も胸も足も、まんべんなく蜂に取り付かれた。うねるような羽音は、悪魔のような響きであった。そのときの恐怖は、尋常ではなかった。理屈ではない、生理的な恐怖感である。まさしくパニックそのものであった。

 蜂に襲われた場合は、手で振り払らってはいけないとか、走って逃げてはいけないとか、話では聞いたことがあった。しかし現実に蜂の大群に取り囲まれたとき、手も上げずに、悠然と歩いて進むなどということは、できるはずがない。一同駆け出し、両手をかざして蜂を振り払おうとした。それで次々と刺された。

 恐怖映画のシーンのようなことが数十秒続いた。そのうち、現地人の庭師のような男の姿が見えた。灌木のところで手招きをしていた。群がる蜂に伴われてその男の所へ行くと、灌木の下に入れと指し示された。我々は身をかがめて、地面にうずくまるようにして灌木の茂みに潜り込んだ。まだ体中に蜂が付いている。そのときの切迫した緊張感は、今思い出しても鳥肌が立つ。

 すると、どういうわけか蜂は次第に姿を消して行った。飛び去ってしまったのである。事態が好転したことを知った我々だが、またぶり返すといけないので、しばらく茂みの中で息をこらしていた。一時経って、庭師の男が、我々を茂みから引き出した。そして少しはなれた所にあった作業小屋に連れて行った。小屋に入って扉を閉めたとき、ようやく助かったと思った。

 男は我々の体を丹念に調べて、刺さっている蜂の針を一本づつ抜いてくれた。同僚のI君の腕にあった小さなほくろを、針と見間違えて抜こうとした男に、I君は「No, this is mine」と、的を得ているのかいないのか分からないようなことを言った。

 それにしても攻撃的な蜂たちであった。巣を見て指を指しただけである。別に悪口を言ったわけでもない。こちらから危害を加えられるような位置関係でもなかった。それなのに、なんであんなに怒ったのだろう。



ーーー8/21ーーー 陶酔する音楽

 知り合いのS氏は、勤め先の駐在員としてドイツに住んでいる。2年ほど前まではフランスが任地だった。そのS氏が、先日休暇を取って帰国した。私はその日程を詳しく知らなかったのだが、たまたまタイミングが良く、会うことができた。音楽好きのS氏と話をすると、話題は自然に音楽の方へ行く。

 ドイツでもフランスでも、各地のイベントやフェスティバルには、路上ライブのようなパフォーマンスがつきものだそうである。自然発生的にプレーヤーが集まって、勝手に演奏をするらしい。そんな中で、何時間もの間、途切れることなく延々と演奏を続ける連中が、どこの会場にも居る。そして、それは三つのジャンルに分類されると言う。一つは南米の民族音楽(フォルクローレ)、二つ目はアイリッシュ・ミュージック、そして三つ目はアフリカ太鼓とのことであった。

 「とにかく延々と続けるんですよ。まったく驚いてしまいます」とはS氏の弁。日本人の感覚ではちょっと想像できないが、実際にそのようなことが、普通に行われているとのこと。それでも、あまたある音楽のジャンルの中で、その三つが特徴的に長時間演奏を繰り広げるというのは興味深い。

 南米に仕事で数ヶ月滞在した知人がいた。その人が入っていたアパートでは、毎晩現地人が集まってフォルクローレの演奏をし、踊っていたそうである。それも判で押したように、8時頃に始まり、夜中の2時くらいまで続いたとのこと。住んでいた部屋の上の階でそれをやるので、踊りの靴音が天井を通して響き、睡眠不足になるほどだったとか。「毎晩だよ、毎晩。よく飽きずに続けるものだ」と呆れ顔で話してくれた。

 アイルランドを旅行してきた人は、現地のパブで夜毎繰り広げられる生演奏に驚いたという。それも、プロの楽士が演奏するだけでなく、パブに集まるお客たち、近所の住民たちが、楽器を持ち寄って、自発的に演奏に加わるらしい。それまでビールを飲んでいた男が、突然出て行ったかと思うと、ギターを手に戻って来て、合奏に加わるということもごく普通のこと。パブの入り口で、女の子が延々とホイッスル(アイルランドの縦笛)を吹いているような光景もあるらしい。

 アフリカの民族楽器にジャンベという名の太鼓がある。これが近年になって、欧米で人気が出て来ていると聞いた。もともとはアフリカの一部地域で伝統的に使われていたものだが、欧米人社会の異文化への憧れ、自然回帰、エコロジー、癒しといった、現代的な価値観と結びついたのだろう。趣味としてジャンベを楽しむ人が急激に増えているそうである。日本国内でも愛好家が増えているようで、大学のキャンパスで一日中、狂ったようにジャンベを叩いている若者達も見かけるそうだ。ちなみに、そのような人気のおかげで、ジャンベを生産している地域では、貴重な収入源として脚光を浴びるようになった。ジャンベを輸出用に大量に生産するあまり、原木の乱伐が生じて、自然保護の観点から問題になってきているとの指摘もある。

 これら三種類の音楽に、どんな共通点があるのだろうか。それぞれ使う楽器は違うし、発生した起源も、発展した過程も、全く異なっている。それでも演奏する人、聞く人を魅了し、時が経つのも忘れさせる不思議な力を持っているのだろう。

 毎晩のように、時を忘れて演奏に興じ、音楽を楽しむ生活。私にとって、恐らくその機会が訪れることは無いだろうが、一度はどっぷり浸かってみたい、夢のような世界ではある。 



ーーー8/28ーーー 母の新居

 同居している母は、近々東京へ引っ越す予定である。都心に老人向けのマンションを見つけ、そこに入ることになっている。そういう施設が、けっこうあるらしい。一人暮らしの老人が、安全に、快適に暮らせるような工夫が施されている。

 女性が歳をとると、一番大切なのは日常的な話相手だそうである。親戚とか友だちとか、余計な気使い無しで話を交わせる相手が、身の回りにいれば幸せというわけだ。このたびの母の引越も、最大の理由はそこだと思う。安曇野に移り住んで17年ほどになる。ご近所から少し遠い所まで、お付き合いをさせていただいた方は多かったが、やはり歳を取ってから住み着いたよそ者には、人間関係のハードルは否定できない。気のおけない昔馴染みがいまだに大勢住んでいる東京は、母にとってまぎれもないふる里なのである。

 母の新居には、私の家具を入れることになった。もともと使っていた衣装タンスに加えて、ベッド、テーブルを新規に作った。また、在庫のあった椅子2脚を、テーブルと組み合わせることにした。父の位牌を入れる厨子は、今年の始めに制作したが、それもようやく出番が来た。さらに、以前から愛用していたウォールキャビネットも壁から取り外して持って行くことにした。家主の了解が取れれば、それも使うつもりである。

 先日の日曜日、引越荷物をトラックに積んで運んだ。ベッドの組み立てがあるので、私自身が出向く必要がある。ついでにその他もろもろの家具や荷物を運ぶことにしたのである。ちょうど夏休みで帰省していた大学生の息子を、手伝いとして同行させた。

 日曜なので、上りの高速も、首都高も、都内の一般道も空いていた。荷物の搬入とベッドの組み立ては、2時間ほどで終了した。狭いワンルームマンションなので、極力荷物の量を少なくした。そのため、引越と言うにはあっけないほどの早さで片付いた。

 部屋の隅にベッド、その足元にタンス、タンスの上に厨子を置いた。部屋の中央にはテーブルを配置し、椅子二脚を向かい合わせに入れた。ほんの10畳ほどの広さの部屋だが、使い心地が良さそうな生活空間が出来上がった。部屋の見取り図を元に計画した家具の寸法と配置が、狙い通りにいったようである。ビルの裏手は公園になっていて、窓から明るい光とそよ風が入って来る。そこは三階だが、都心のビルの一室とは思えないくらい、気持ちのよい部屋であった。

 ところで、生活に使う全ての家具を、私の作品で統一するというのは、今回が初めてのケースであった。いままで家具をお納めしたお宅でも、100パーセント私の家具ということは無かったと思う。部屋の中を見渡して、何とも言えない心地良さを感じたのは、そのせいだったかも知れない。

 残りの人生を、息子が作った家具に囲まれ、知人友人と親しく付き合いながら、便利な都心で勝手気ままに暮らすことができる母は、かなり幸せ者だと思う。





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